ウルバヌス2世の演説はいつどこで行われたんだ?
1095年フランスのクレルモン公会議。
公会議はクレルモンの街・野外城門前で、多くの民衆を集めた会場で行われた。
演説の内容について
・『十字軍の精神』より
教皇がクレルモン公会議で行った演説の真正テクストは今日伝来していない
Richard,宮松訳,p.5
つまり、演説の本物のテキストは実際伝来していないらしいんだ。
演説の内容で確実になことは2点ある。
- 東方キリスト教徒の救援
- イェルサレムを異教徒から解放すること
また、本物のテキストはないが、当時の年代記者が記したものは存在している。
年代記者フーシェ・ド・シャルトルの記したものが取り上げられる。
「これは神に直接関係すると同時に汝らにも関係する、そしてつい最近になって発生した任務である。東方諸国に定住し、そしてすでに何度も汝らの救助を懇願している兄弟たちの救援に躊躇なく赴くことが肝要である。」(フーシェ・ド・シャルトル『エルサレム巡礼史』訳はリシャール『十字軍の精神』による)
のように『十字軍の精神』では、2ページにわたってずらずらっと引用してある。
なかなか普段見ない文面で難しい(笑)
もちろん筆者の解釈も載せてあるので、それを読めばわかる。
でも、より分かりやすかったのが『世界史リブレット人㉛ウルバヌス2世と十字軍』だった。
(実は『十字軍の精神』はリブレット本の参考文献経由で購入した)
・『リブレット人㉛ウルバヌス2世と十字軍』より
どう分かりやすいかというと、上記の演説文を段落ごときって意味が書かれているからなんだ(笑)
さらに、演説の主要部分の内容を具体的にまとめてある。
そのまとめを引用してみたので参考にしてほしい。
ウルバヌス2世の演説内容
「このようにウルバヌスの十字軍勧説の主要部分では具体的に、
- 東方キリスト教徒の救援と対トルコ遠征、
- 社会の上層部たる「協会の幹部・聖職者、騎士以上の貴族」への参加(武器自弁)の呼びかけ、
- 異教徒との戦いにより神から得られる「罪の永遠の赦免」が説かれる。そして
- キリスト教徒の務めと、
- 「神の平和・休戦」による後方安定を保証し、
- 領土や現世の経済的利益
を説く。
池谷,p.50
というわけなんだ。
演説文を見たい人へ
- 『十字軍の精神』
- 『リブレット人㉛ウルバヌス2世と十字軍』
ウルバヌス2世が初めて公言したこと
初めて公言と聞くとどういうこと?って感じになると思う。
それはウルバヌス2世がグレゴリウス派だったことに関係している。
彼はグレゴリウス7世が引っ張ったレールをある程度踏襲しているんだ。だから、同じことを言っていることが少なくない。
東方キリスト教徒の救援も、エルサレムを異教徒から解放することも、先にグレゴリウス7世が言ってたことだ。
一方、ウルバヌス2世が初めて言い出したことがある。
それは今回の十字軍について、
この参加者が完全贖宥を享受できる
Richard,宮松訳,p.5
ということだ。
上記のリブレット人の引用だと③の「罪の永遠の赦免」だ。
どうも我々日本人の感覚で、キリスト教上の罪の意識を考えようとしてもなかなかピンとこないんだよね。
とりあえず、そういうものがあるという風にざっくりとらえて読み進めてみた。
当時は「巡礼」が贖罪だった。
キリスト教徒の人々の中には、罪の意識があって、その罰を受けなければならないという意識があった。なので、無罪を回復したいとも思ってたわけだ。
巡礼はそういった罪滅ぼしの行為だった。
だから、当時の人々が危険を冒して聖地に巡礼する理由の一部がそれだ。
でウルバヌス2世が初めていったことに戻ってくると、、
「十字軍に参加することによって完全贖宥を享受できる」(贖宥・・・罪の償いを教会が免除すること)。
教皇の言葉によって人々の中では、十字軍に参加すれば無罪を回復できる!という期待感が沸き上がった。
根拠となる引用↓
この参加者が完全贖宥を享受できること、すなわち遠征の参加者は聴罪司祭が罪を告白した者に課した贖罪のための苦行に代わりうることを最初に明確にしたのは、彼であったと思われる。
Richard,宮松訳,p.5
この引用文も難しいんだけど、
つまり「聴罪司祭が罪を告白した者に課した贖罪のための苦行」がイコール「巡礼」なわけで、十字軍遠征の参加者はこの巡礼にかわりうるんだよ、と言っている。
さらに簡単に言うと、
ウルバヌス2世は
「巡礼は贖罪だったね、これからは十字軍に参加することも贖罪にしちゃうよ!」
と初めて公の前で言った、ってことだ(笑)
しかもそれは、永遠でしょう。
永遠に赦免するわけで。永遠に罪をゆるすから十字軍に行ってきなさいよという意味で、当時の人々からすれば魅力的であったに違いない。
贖宥と贖罪の違いを考えてみた。
贖宥は教会側から信者に向かってするもので、贖罪は信者自らが頑張るというイメージをした。主語の違いがポイントかな。
またいつになるかわからないけど、加筆する場合もふまえてここにメモる(笑)
演説が起爆剤
「演説って起爆剤じゃん!」と思った。
十字軍のきっかけはウルバヌス2世の演説なんだけど、
すでに西ヨーロッパのキリスト教徒に爆発寸前の各々の思いがあったのが分かる気がした。
「キリスト教徒の墓を開放しなければとの義務感は」「特に何世紀も前から巡礼者たちが訪れていた聖墳墓とその他の聖書を参詣することを願っていた十字軍士の心に否応なしに取りついていたことは確かでしょう。」
Richard,宮松訳,p.ⅹ
(読み方:参詣(さんけい))
ということで、十字軍の始まりは、ウルバヌス2世の営業力的なものだけでなく、十字軍となる貴族や民衆の心の中にすでに聖地に巡礼して、罪滅ぼしをしたい、贖罪したい!って気持ちがあった。
その前提の中でどかーーん!と十字軍でも贖罪になるよ!永遠に罪を許すよ!と演説したことが十字軍の起爆剤になったと思ったんだ。
巡礼=十字軍な人々
ウルバヌス2世が「十字軍遠征が巡礼の代わりになる」ことを明確にした。
つまり、巡礼=十字軍だ。
だが、そのあまり戦うよりかは巡礼の方が勝っている例がみられる。
例えば、一部の十字軍士は、十字軍として遠征し始めたのに、ローマを通り、諸使徒の墓参りをするだけで誓願を成就したとみなし帰ってしまった。
[box04 title=”誓願”]
巡礼はただ単に思い立って始まるものではなく、まず「諸聖墓への巡礼に出発する誓願」をして出発をするようだ。
十字軍参加もまずは「十字軍誓願」というのがある。
[/box04]
また、第2回十字軍の時、フランス王ルイ7世は、イスラームの脅威にさらされているアンティオキアからの懇願にもかかわらず、いち早くイェルサレムに到着する。
そして、同行したドイツ王コンラート3世の軍隊は、第1回十字軍と同様、聖地巡礼のための非戦闘員で膨れ上がっていたという。
この事例から、十字軍士たち自身も十字軍は巡礼と同じだと理解していたことが分かる。
まとめ感想
1095年、クレルモン公会議でウルバヌス2世の演説が行われた。
内容は、
「このようにウルバヌスの十字軍勧説の主要部分では具体的に、
- 東方キリスト教徒の救援と対トルコ遠征、
- 社会の上層部たる「協会の幹部・聖職者、騎士以上の貴族」への参加(武器自弁)の呼びかけ、
- 異教徒との戦いにより神から得られる「罪の永遠の赦免」が説かれる。そして
- キリスト教徒の務めと、
- 「神の平和・休戦」による後方安定を保証し、
- 領土や現世の経済的利益
を説く。
池田,p.50
ということだった。
そして、彼が「十字軍に参加することは巡礼によって贖罪することと同じであること」を明確にしたわけだ。
ちなみに、この十字軍参加と巡礼が贖罪にあたるということがのちにイコールにならなくなる。それがイスラームの英雄サラディンがハッティンでエルサレム王国軍を破る1187年なんだ。
ともあれウルバヌスの演説の内容なので、ここまでにしたい。
●十字軍が始まった理由はいっぱい
今回、ウルバヌス2世の演説をお題に書いてみた。参考文献『十字軍の精神』を読むことで、演説内容をより深く知ることができた。
十字軍士たちはどう思って十字軍に参加したんだろうってことも知ることもできて、いい機会だったと思う。
と同時に十字軍が始まった理由とは何?のところが前にも増してややこしくもなった(笑)
世界史ではいろんな階層の人々(教皇、諸侯、騎士、商人など)が、それぞれで思惑が違うということを習う。
だが階層一つ一つの中でもまた様々な思惑が渦巻いている感じ。渦巻きすぎてはっきりスキッとわかることはないよね(笑)
例えば、ビザンツ皇帝からの救援要請が十字軍遠征のきっかけといえば分かりやすいんだけどそれは要因のごく一部にすぎないわけで。
今回で、さらに重層的に理解が深まってよかったとしておく(笑)
●今後の課題
今後の課題も生まれた。
やっぱりヨーロッパの文化に関するところとして、キリスト教の罪とか贖罪の部分をわからないかんなぁ~と改めて感じた。
今回の十字軍しかり、避けては通れないところだよねと。
正直、めんどい。
おいおいやっていきたいと思います。
以上!
参考文献
- ジャン・リシャール、宮松浩憲訳『十字軍の精神』財団法人法政大学出版局(2004)
- 池谷文夫『世界史リブレット人㉛ウルバヌス2世と十字軍』山川出版社(2018)
『世界史リブレット人㉛ウルバヌス2世と十字軍』は教会側からみた十字軍演説の意図を知ることができる。時系列順にまとめ、感想なども書いてみた。よかったら参考にしてほしい。
コメント