世界史・ローマ帝国

世界史

世界史・ローマ帝国【元首制】

初代アウグストゥス

在位:前27年~後14

オクタウィアヌスはアクティウムの海戦で、アントニウスとクレオパトラの連合軍に勝利。元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を得る(前27、帝政ローマ開始)。

要職を独占。

  • インペラトル(最高軍司令官)
  • 全属州総督としての命令権
  • コンスル
  • 護民官職権
  • 最高神官

etc

オクタウィアヌスは独裁者と思われないよう工夫をする。

アウグストゥス(尊厳者)という称号を得ても、自らをプリンケプス(第一の市民)と称した。 また、元老院の意見を聞き、民会にもきちんと選挙をさせる。元老院と共和制を尊重した。

こういった体制を元首性【プリンキパトゥス】という。

元首制は「名目上、共和制の伝統を維持しながら、実権を掌握」だ。

五賢帝

①ネルウァ

②トラヤヌス(最大領土)

③ハドリアヌス(イングランドに長城建設)

④アントニヌス=ピウス

⑤マルクス=アウレリウス=アントニヌス(哲人皇帝、後漢に使節を派遣)

アウグストゥスから五賢帝時代までの約200年(前27~前180年)はパクス=ロマーナ=ローマの平和と言われている。

各地に都市が建設された。

  • ロンディニウム(現ロンドン)
  • ウィンドボナ(現ウィーン)
  • ルテティア(現パリ)
  • ルグドゥヌム(現リヨン)
  • メディオラヌム(現ミラノ)

インド洋を経由した季節風貿易やシルクロードの隊商交易によってアジアからの香辛料や中国の絹を輸入。

カラカラ帝

在位:198~217

カラカラ帝は帝国内の自由民にローマ市民権を与えた(212)。

3世紀の危機

五賢帝最後のマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝の時代末から、財政の行き詰まりや、経済の不振があらわになる。

●都市の衰退

内乱と異民族の侵入に対して軍事力を強化したが、その軍隊を維持するために都市へ重税をかけた。貨幣経済が衰退していく(帝国西部で顕著)。

●ラティフンディア衰退

最大まで領土を広げたトラヤヌス帝以降、征服戦争は終結する。そのせいで戦争捕虜がほとんど入ってこなくなった。

足りなくなった奴隷を補うために新しい方法に変わらざるおえない。

小作制(コロナトゥス)へと変わる。

都市から去った上層市民が田園に大所領を経営。解放奴隷や下層市民(没落農民)、ゲルマン人などを、隷属的な小作人(コロヌス)として働かせた(小作制(コロナトゥス))。

地中海貿易が衰退して、自給自足経済へ移行して行った(これも帝国西部で顕著)。

●軍人皇帝時代(235~284)

各地の軍隊が皇帝を擁立する時代。26人もの皇帝が次々と入れ替わった。

このころに東方からササン朝や北方からゲルマン人の侵入が始まる。

また、国境防衛のためゲルマン人傭兵を採用。

世界史・ローマ帝国【専制君主制】

ディオクレティアヌス帝

在位:284~305

軍人皇帝ディオクレティアヌス帝は専制君主制(ドミナトゥス)を開始した。

共和制の伝統を無視。国民も皇帝の臣民へ。皇帝の独裁体制だ。

●四帝分治制(テトラルキア)

2人の正帝と2人の副帝で帝国を4分し、政治的秩序を回復した。

●皇帝崇拝強制

自らをユピテル神の子として、ペルシア風の皇帝の前でひざまずく儀式を強制。帝権を神聖化。ディオクレティアヌス帝以降、元首制から専制君主制(ドミナトゥス)となる。

●キリスト教徒への大迫害

帝権を神聖化しても、一神教であるキリスト教崇拝者にはあまり通用しない。取り込めない。

→大迫害を行う

コンスタンティヌス帝

在位:306~337

●ミラノ勅令でキリスト教公認(313)

コンスタンティヌス帝は増大する信徒を味方にする方針に変更。キリスト教を公認し、帝国統一をはかった。

●ニケーア公会議(325)

キリスト教の迫害をした東のリキニウス帝を倒して、帝国を再統一(324)。翌年、ニケーア公会議を主催して、アタナシウス派を正統、アリウス派を異端とする。

●コンスタンティノープル遷都(330)

ギリシャ人の植民市だったビザンティウムに都を遷都。名をコンスタンティヌスのポリス、コンスタンティノープルとし、巨大な官僚体制を築いた。また、これは経済の中心が東方に移動したことも意味した。

ローマは官僚制を土台とした階層社会となり、市民の自由は完全になくなった。

●コロヌスの土地定着令

税収の確保を図って、民の職業や身分を固定化する。

コロヌスの移動禁止。中世農奴制の原型だ。

テオドシウス帝

在位:379~395

●キリスト教の国教化(392)

キリスト教はすでに帝国内の半数にも達していた。アタナシウス派キリスト教を国教化して、その支配者となることで、帝国を統合、再建しようとした。

キリスト教強制(380)、他の宗教禁止(392)→もともとの多神教も禁止

●東西分割(395)

テオドシウスの2人の息子がそれぞれ西ローマ帝国、東ローマ帝国を統治。

西ローマ帝国は、ゲルマン人の侵入の影響で混乱。そしてゲルマン人傭兵オドアケルによって滅亡した(476)。

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は都市経済が比較的建在。1453年まで続いた。

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