古代ローマ・共和政

世界史

古代ローマ・共和政の始まり

初めイタリア半島に文明を築いたのはエトルリア人だった。

そこに前753年、ラテン人(インド=ヨーロッパ語系)が北方から南下してきて、テヴェレ川下流にローマを建国した。

前7世紀末、ラテン人はエトルリア人の王に支配されている。その中で大土地所有者の貴族(パトリキ)や中小自作農の平民(プレブス)など階級を形成した。

前6世紀末、貴族(パトリキ)がエトルリア人の王を追放して共和制となる。貴族が政治を独占した。

貴族は自分たちの中から最高立法機関である元老院を構成し、貴族の中から任期1年で2名のコンスル【執政官】とディクタトル【独裁官】を選出した。

  • コンスルは民会の1つである兵員会より2名選出される
  • ディクタトルは非常事態にコンスルにより指名される

身分闘争の時代

平民(プレブス、中小農民)は、のちに自ら武器を買って戦っているのに、政治に参加できないことを不満をもっていた。やがて参政権を要求して、身分闘争になっていく。

護民官と平民会の設置

前5世紀前半、護民官と平民会が設けられた。

護民官は平民会の議長。これは元老院やコンスルに対して拒否権を行使できる。貴族が自分たちにとって有利な法律をつくろうとしても拒否をして法律化させないようにした。

十二表法

前450年頃にできたローマ最古の成文法。

慣習法をはじめて成文化して、貴族による法の独占を打破する。

リキニウス・セクスティウス法

この頃にはローマの領土も拡大して、有力者による大土地所有が拡大していた。各地を結ぶ交易の発展で平民に貧富の差が拡大し、商工業で裕福になった平民も増えてきた。

一方、発展に乗り遅れた平民は有力者に土地を奪われて没落。

↓こういう構図になる。

  • 貴族 ⇐ 支配階級
  • 富裕な平民
  • 平民

こうした背景の中、生まれたのがリキニウス・セクスティウス法である(リキニウスやセクスティウスという護民官がいた)。

リキニウス・セクスティウス法(前367)

  • 2名いるコンスル(執行官)のうち1人は平民から選出
  • 公有地の占有制限

ホルテンシウス法

前287年、ホルテンシウス法で身分闘争は終結する。

「平民会の決議は元老院の承認がなくとも国の法律となる」

元老院と平民会の上下関係を無くして、政治的に平等となった法律だ。

ただし、ギリシャのような徹底した民主化にはならなかった。

理由は公職には給料がでないから、結局裕福な平民しか平民会に入れないということ。

また、依然として指導権は貴族である元老院にあり、平民が作った法律でも自分たちの有利に運用した。

ともあれ、このようにホルテンシウス法により平民に参政権があたえられると、従来の貴族に一部の富裕な平民が加わり新しい支配階層が生まれる。

それはノビレス=新貴族だ。

  • 貴族 ⇐ ノビレス【新貴族】
  • 富裕な平民 ⇐ ノビレス【新貴族】
  • 平民

今度はノビレスという形で政権を独占するようになったわけだ。

平民と貴族の対立を抱えながらも、ローマ領は順調に拡大していく。

地中海征服

イタリア半島統一

ギリシャの植民市、タレントゥムを陥落させて、イタリア半島の統一(前272)。

●分割統治

征服した諸都市を分割統治した。分割統治とは、同盟を組んで攻められる危険を防ぐ統治方法で、各都市の権限と義務は差がつけられていた。

分割統治の区分は3つ

  • 植民市
  • 自治市
  • 同盟市

●平民の発言権が高まる

身分闘争の歩みが、ホルテンシウス法制定までの流れで分かるように、平民の権利拡大となっている。これは毎回の戦争の中で、平民が重装歩兵として活躍していることが反映している。

ポエニ戦争

ポエニ戦争第1~3回(前264~前146)。フェニキア人国家カルタゴとの対立。

●第1回ポエニ戦争(前264~前241)

カルタゴに勝利してシチリア島を獲得。シチリアは最初の属州となった。

●第2回ポエニ戦争(前218~前201)

①カルタゴのハンニバルにカンネーの戦い(前216)で敗れる。

②ローマの大スキピオがザマの戦い(前202)で勝利。

ローマはカルタゴの海外領土をすべて獲得して、多額の賠償金を課した。軍隊の保有も禁止する。

●第3回ポエニ戦争(前149~前146)

カルタゴ滅亡(前146)

ローマは西地中海世界で覇権を確立した。

ギリシャ征服

アンティゴノス朝マケドニア滅亡(前168)

コリントを破壊して属州化(前146)、東地中海世界へ進出。

ローマ社会の変化

第2回ポエニ戦争以降のローマ社会の変化。

ラティフンディアの発展

ローマの支配層、つまり新貴族ノビレスや騎士エクィテス(後述)は戦争で没落した中小農民の土地を買収したり、征服によりローマのものとなった公有地を次々と買い占めて大土地所有者となった。

前2世紀頃には、戦争捕虜である奴隷を用いてオリーヴやブドウなどの商品作物を栽培する大農場経営を始める。

これがラティフンディア(大土地所有制)である。

貧富の差が拡大

●「貧」の方

中小農民が没落していく。

属州から安いな穀物が流入してくるので農作物を作っても安くしないと売れない。また、長期の従軍のため農地が荒れてしまうなどして生活は困窮する。

土地を売って無産市民【プロレタリー】になり都市ローマへ流入した。「パンと見世物」を要求した。

今度は逆に属州からの安価な穀物をもとめて、さらなる征服戦争を望むようになる。

●「富」の方

元老院議員などは属州に総督を派遣。さらに、徴税請負人に委託して税金を集めた。

徴税請負人は属州の人々から必要以上に税金を徴収。搾取した。

こうして、儲けた平民は新興の富裕平民となり、騎士階級【エクイテス】となる。騎士たちは商人や資本家となって活躍。新たな有力者(支配層)となった。

閥族派と平民派

このような状況の中、さらなる征服戦争が行われ、さらに貧富の差は開く。共和政の土台がゆらぎだした。

貧富の対立が広がる。

政治家は閥族派と平民派にわかれて争うようになっていく。

内乱の1世紀

グラックス兄弟の改革(前133)~帝政ローマの始まり(前27)までの期間を内乱の1世紀という。

グラックス兄弟の改革

グラックス兄弟の改革(前133~前121)

無産市民たちは武器を買えないから、戦争にも参加できない。これはローマ軍全体の弱体化に繋がった。

実際、前135年のシチリアの奴隷反乱にはかなり手こずる。

このままではいかん!ということで、立ち上がったのがグラックス兄弟だった。

兄弟はそれぞれ護民官になってから動き出した。

彼らは重装歩兵市民軍団の再建のため、リキニウス法の復活による公有地占有(大土地所有)の制限して、無産市民への土地配分を図った。

これでまた、今の無産市民が畑を耕し、作物を販売できる。そのお金で武器も帰る。ローマ軍も強化できる!

しかし、兄弟は大地主と対立。兄は殺され、弟は自殺して失敗してしまう。

以降、有力政治家は、自分の保護下におく人々(庇護民)を配下にかかえる。彼らを使って互いに暴力で争う勝ち抜き戦の時代になっていく。

閥族派VS平民派

平民派のマリウスは兵制改革として、職業軍人制を導入。

→無産市民に武器を与えて自費で訓練、戦争に参加させる(軍の私兵化)。ローマの兵というよりかはむしろ、有力者個人の兵隊である。

他の有力者も同じよう軍の私兵化。権力闘争の道具として利用し始める。

やがて閥族派と平民派に分かれて抗争。

  • 閥族派【オプティマテス】元老院中心の保守派
  • 平民派【ポプラレス】新貴族や騎士階級出身の反元老院派

同盟市戦争

→前91~前88

イタリア半島の同盟市が市民権を要求して反乱を起こした。

閥族派のスラが鎮圧。

結果、イタリア半島の全自由民にローマの市民権が拡大した。

スパルタクスの反乱

→前73~前71

剣闘士奴隷の大反乱。

三頭政治

混乱期を経るなかで、ローマの人々は強いリーダーシップを求めるようになる。

三頭政治は「共和政」から「帝政」に移り変わる移行期。

●第1回三頭政治(前60~前53)

ポンペイウス・クラッスス・カエサルの3人が私的な同盟を組んで元老院に対抗した。

カエサルはガリア(フランス)遠征でケルト人やゲルマン人の住むガリアを平定した。

カエサルはライバルのポンペイウスを破り終身独裁官となる。しかし、独裁を恐れる元老院の共和派ブルートゥスらにより暗殺される(前44)

●第2回三頭政治(前43~前36)

オクタウィアヌス・レピドゥス・アントニウス

オクタウィアヌスはアクティウムの海戦(前31)でアントニウス・クレオパトラ連合軍を破る。プトレマイオス朝は滅亡(前30)。エジプトを属州化する。

これでギリシャ人が支配するヘレニズム諸国がすべてローマに征服され、終焉する。地中海は平定され、内乱は終わりを告げた。

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