聖職叙任権闘争(←漢字だらけでごめんね)

世界史

ドイツ王に公然と異をとなえた教皇グレゴリウス7世!なぜ、カノッサの屈辱が起こったのか?

聖職叙任権闘争

史上最強の教皇ともいわれる教皇グレゴリウス7世(位1073~85)

もともとクリュニー派の修道士だった彼は、聖職売買禁止など教会改革運動を進め、聖職叙任権を取り戻そうとした。

教皇vsドイツ王

聖職叙任権とは高位聖職者(大司教、司教など)を任命する権限。

グレゴリウス7世は、帝国教会政策をとるドイツ王ハインリヒ4世と対立。

「世俗権力に聖職者は任命できぬ!」

教会側が叙任権を回収することを宣言し、ドイツ王による教会支配を否定した。

これに対してハインリヒ4世、教皇グレゴリウス7世を廃位させようとする。

一方グレゴリウスはハインリヒの破門を宣言した。

カノッサの屈辱(1077)

ドイツ王の統治に不満をもっていたドイツ諸侯が、破門宣言の機会に乗じて反旗を翻した。

これを受けて、 ハインリヒ4世は帝国の統治ができなくなることを恐れ、北イタリアのカノッサ城で教皇グレゴリウスに謝罪した。

ヴォルムス協約(1122)

教皇カリクストゥス2世と皇帝ハインリヒ5世がヴォルムス協約を締結。皇帝と教皇の妥協が成立した。

★聖職叙任権(司教などを選出)はローマ教皇のものになった。

対する、皇帝は封土の授与権のみ。ドイツ領内の司教領の授与などを行う。

【教皇権と皇帝権が肩を並べる】

ここで少し時系列をさかのぼって背景をみてみたい。

背景

高まる教会の権威

封建社会が出来上がった西ヨーロッパでは、諸侯が点在していたために国内はまとまりがつかない状態であった。

まとめ役の国王についても、フランク王国が分裂して以来、いまひとつ国内統治ができていない状態。

つまり、王権が弱い。

一方、

教会は各地で布教をして信者を増やすなどして、影響力が強くなっていた。

また、7世紀から多くの修道院で採用されたベネディクトゥス戒律の「服従」の精神「上司の言うことは絶対聞くんだぞ!」ということも影響して、

教会の階層性【ヒエラルキー】が成立していた。

階層性とは、教皇を頂点として大司教、司教、司祭・修道院長という聖職者のピラミッド型の序列構造である。

こうして大司教以下をたばねる教皇の権力は高まり、

ローマ=カトリック教会が西ヨーロッパにおける最高の権威者となりつつあったんだ。

世俗領主(皇帝や国王、諸侯など)は教会の高まる権威を支配に利用した。

世俗領主の教会への介入

→私有教会制、帝国教会政策

●私有教会制

所領に教会や修道院を建設して、その聖職者を任命するという私有教会制。

帝国教会政策

神聖ローマ皇帝は私有教会制のみならず、帝国教会政策も行っていた。

帝国教会政策とは、皇帝の都合の良い人物を帝国内の高位聖職者(大司教や司教)に任免して(=聖職叙任)、領地を与えて、教会組織を支配に組みこむ政策だ。

こうすることによって、大諸侯が反乱をおこさない体制を目指した。

一方、任命された大司教や司教は、土地や財産の寄進を受けたり、世俗の領主と同じような権能を与えられて封建領主化。

聖界諸侯となった。

●司教領は諸侯たちの憧れの的へ

司教領は歴代皇帝からの手厚い保護政策により潤っていて、そこから上がる税収入は諸侯たちにとって憧れの的であった。

諸侯は何とか一族のものを司教職につかせたいと思うようになる。

聖職叙任権の問題点

本来聖職者ではない人が大司教などに任命されるため、妻を持っていること(=妻帯)の問題(神に仕えるものは独身でないとだめ)がある。

また、聖職者の任免権をめぐって教会と対立しないようにお金を払う(聖職売買)という問題もあった。

なんと、おおもとのローマ教皇庁までも、このような状況になってしまっていた。

教会の世俗化や腐敗が進んでしまったというわけだ。

これを受けて、しだいに一部の教会内から「もっときちんと神に仕えるべきだ」という批判が高まってくる。

教会を改革しようという運動が始まった。

教会改革運動

この教会改革の始まり、中心地となったのがクリュニー修道院なんだ。

クリュニー修道院

910年、フランス中東部、ブルゴーニュ地方に設立される。

初期の修道院の精神、ベネディクトゥス戒律「祈り、働け」の厳格な遵守(修道院運動)。

  • 聖職者の妻帯禁止
  • 聖職売買禁止

改革の指導者は世俗領主たちの支配から脱することによって、はじめて教会は清貧をつらぬけると主張した。

シトー派修道会

11世紀、フランス中部に設立。

「清貧と勤労」を重視。

荒れ地に修道院を建設して、大開墾運動の中心となる。

こうして聖職叙任権闘争へと発展していく。

参考文献

  • 菊池良生『神聖ローマ帝国』(2010)講談社

教科書や参考書も参考にしているが、参考文献として書くのはどうかと思い割愛。

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