ポリスとは?(世界史)
前8世紀になると、ギリシア各地で有力貴族の指導のもといくつかの集落が連合し、アクロポリス(城山)を中心に、人々が集住(シノイキスモス)して都市をたてた。これらの都市をポリスという。
各ポリスは独立した国家であり、全体的にみると小国分立した状態だった。
ポリスの構造
ポリスの中心部はアクロポリス(城山)で、神殿や城塞が築かれている。ここは宗教や軍事の中心だ。
ふもとにはアゴラ(広場)がある。ここでは裁判や会議、商売が行われ、政治や経済の中心であった。
植民市
人口が増加して土地が不足してきたので、前8世紀半ばからギリシア人は地中海や黒海沿岸に植民市を建設する。
また、リディア王国(現トルコの一部)から伝わった鋳造貨幣(コイン)がギリシャ全体に広がり経済活動を活発化させたことも植民市が増えていく要因だ。
代表的な植民市
- ビザンティオン(トルコのイスタンブル)
- ネアポリス(イタリアのナポリ)
- マッサリア(フランスのマルセイユ)
- シラクサ(シチリア島の東岸)
こうして海上交易が盛んになってゆく。
ポリスの共通意識
各ポリスは独立しているとはいえ、文化面では同一民族としての意識をもっていた。
それは、ギリシア語で話すとか、信仰するもの、神話、オリンピアの祭典を行うなど、同じギリシア人、同胞だという共通意識である。
ギリシャ語
ギリシャ語を使う。フェニキア文字からアルファベットを作成した。
オリンポス12神への信仰
オリンポス山に神々が住んでいると信じていた。
- 主神ゼウス
- 美の女神アフロディテ
- 知恵の女神アテナ(アテネの守護神)
- 太陽神アポロン
デルフォイの信託
デルフォイにあるアポロン神殿で信託(神のお告げ)を聞く。デルフォイでの信託は他に比べて最も権威があるとされた。
どんな時に信託を受けたのか → 植民市建設の位置や宣戦、講和など
ホメロスの詩
- 『イリアス』
- 『オデュッセイア』
オリンピアの祭典
オリンピアの祭典。オリンピアでは4年に1度、祭典と競技会が行われた。ポリス間では戦争をすることもあったが、スポーツを一緒に行うなど、ギリシャ人としての一体感も持ち合わせていた。
ヘレネスとバルバロイ
ギリシャ人をお互いヘレネスと呼びあう。ヘレネスは伝説上の英雄ヘレンの子孫の意味だ。一方、ギリシャ語を話さない異民族をバルバロイと呼んだ。これは「聞き苦しい言葉を話す者」という意味だ。
ポリスの市民と奴隷
市民(貴族と平民)
市民は貴族と平民に分かれる。
貴族は大土地所有者(金持ち)であり、平民は中小自作農民だ。
貴族は平民を支配する。自分で武器を買って(武器自弁)戦争に参加した。戦って都市を守っているのだから当然、参政権も得られる。
一方、平民は貧乏なので戦いに参加できないし、政治にも参加できない。
↓こういうシンプルなもの
- 貴族
- 平民
貴族と平民の対立
ところが、
リディアに始まる鋳造貨幣が広まり、商工業が発展した。平民の中でも稼げる人が増えてきて、平民の中で貧富の差が拡大していく。
↓こうなる
- 貴族
- 平民(裕福)
- 平民(貧乏)
裕福になった平民は武器を自分で買えるようになった。参政権を得るために、参戦するようになる。
重装歩兵として軍隊の主力となっていった。戦い方も一騎打ちから重装歩兵密集戦術(ファランクス)に変わる。
平民は戦争に参加して、ポリスを守っているのになぜ政治には参加できないのか?となる。
不満が高まる。
こうして、貴族に対して参政権を要求、身分闘争をするようになった。
奴隷
奴隷は個人所有で家の中で使われることが中心(アテネでは人口の3分の1だった)。どこからつれてこられるかというと、例えば、債務奴隷とか戦争の捕虜、購入された異民族だった。
アテネとスパルタ
ここで代表的なポリス、アテネとスパルタを紹介したい。
アテネ
アテネはイオニア人が集住(シノイキスモス)してできたポリスだ。
政治は直接民主制で、軍事面は海軍が中心。
経済は商工業が発達していた。
アテネ人口の約3分の1が奴隷で、市民の個人所有とされていた。
スパルタ
スパルタはドーリア人の征服によりできたポリスだ。
貴族政「リュクルゴス制」による軍国主義体制、ギリシャ最強の陸軍国家。
領地が広く、例外的に穀物の自給が可能であった。
3つの身分
- スパルティアタイ(完全市民、政治軍事)
- ペリオイコイ(劣格市民 、商工業)
- ヘイロータイ(隷属民、農耕労働)
●リュクルゴス制
少数の完全市民(スパルティアタイ)5000人が、ペリオイコイ2万人やヘイロータイ7万人を支配した。
完全市民はペリオイコイやヘイロータイの反乱をおさえるため、陸軍中心の軍国主義体制を構築した。
団結を守るため貧富の差が生まれないよう平等を徹底した。商工業活動を禁止して、貨幣の使用も禁止、厳しい鎖国政策をとった。
ポリスの崩壊
ペルシア戦争後、デロス同盟が結成された時、各地のポリスからは軍資金が集められた。これは再びペルシアが襲ってきた時のための備えである。
しかし、アテネはそれを自分のものにしちゃった。
正式にペルシア戦争が集結した後も私物化したままだった。
この間にアテネはペリクレスによる民主制の完成で全盛期を迎える。
こういった動きにペロポネソス同盟は脅威を感じて、次第に対立色を強めていく。
そして、ペロポネソス戦争が勃発(前431~前404)。
デロス同盟によるアテネの専制にスパルタがペロポネソス同盟を率いて対抗。
ペロポネソス同盟・・・前6世紀後半に結成。盟主はスパルタ。加盟国は貴族制ポリスが中心。
戦争中、アテネで疫病が発生して将軍ペリクレスが病死。
その後、アテネはデマゴーゴス(煽動的民衆指導者)の操る衆愚政治となり、アケメネス朝ペルシアの支援を受けたスパルタがペロポネソス戦争に勝利した。
その後、テーベがスパルタを破り一時覇権を握るが、アケメネス朝の裏工作により争いは継続。
こうした内戦の継続により各地のポリスはお疲れモード。戦争が長引いて土地を失った市民が没落して重装歩兵にもなれなくなった。足らない兵士を傭兵によって補充した。
市民の共同体意識がなくなっていく、、
ポリス社会の崩壊へつながる。
こうしたギリシャのお疲れモードを見て、北方のマケドニアが攻め込んでくることになる。
北方のマケドニア王、フィリッポス2世(在位:前359~前336)がカイロネイアの戦い(前338)でアテネ・テーベ連合軍を破る。
さらに、コリントス同盟(ヘラス同盟)結成、スパルタを除く全ギリシャのポリスを支配した。
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