『世界史リブレット人㉛ウルバヌス2世と十字軍ー教会と平和と聖戦と』を読んだ。【まとめ&感想】

世界史
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1095年、クレルモン公会議(教会会議)において、教皇ウルバヌス2世は十字軍提唱の演説を行った。 翌年に第1回十字軍が開始される。

このことは、ビザンツ皇帝アレクシオス1世の救援要請がきっかけだったんだけど、、、

[chat face=”alexioskomnenos_icon.jpg” name=”アレクシオス1世” align=”right” border=”gray” bg=”none” style=”maru”] 十字軍なんていらないよ!傭兵が欲しいんだよ!! [/chat]

十字軍はいらないようです(笑)

アレクシオスは、イスラムに取られた領土を取り戻すための「傭兵」が欲しいだけであって、聖地イェルサレムを取り戻すための軍隊は望んでなかった。

いや~

なんかこう、ウルバヌス2世とアレクシオスは噛み合ってないねぇ~(-_-;)

なんで噛み合わないのだろうか。

ここにウルバヌス2世の真の目的が関係する。

この記事では、ウルバヌス2世がなぜ十字軍の派遣をしたのか、その目的を掘り下げてみた!

『世界史リブレット人㉛ウルバヌス2世と十字軍』ってどんな話?

(出典:amazon)

 

池谷文夫『世界史リブレット人㉛ウルバヌス2世と十字軍 教会と平和と聖戦と』(2014)山川出版社

よく世界史の資料集とかに、教皇権が強化されていくのと同時に皇帝権が弱化されていく棒グラフみたいな図が載っている。

この本は「じゃあ教皇ウルバヌス2世は具体的にどんなことをやって教皇権を強くしていったの?」を解説した本だと思う。

ただ、ウルバヌス2世が新規でスタートしたことってほぼない印象で、それまでの改革教皇派の流れに沿った感じだった。

なので、ウルバヌス2世が十字軍勧説するまでの教会としての活動を中心に記事をまとめてみたんだ。

これを読むことであらかた内容を理解いただけたり、読む前提になれば嬉しい。

カロリング朝崩壊後から十字軍勧説までの流れ

本文は説明上、時系列がいったりきたりするので、ざっくりと時系列順に流れをまとめてみた。

まずカロリング朝が崩壊する。つまりそれは権力的に国王不在の状態となり、国家秩序が解体した状態でもある

国家秩序が解体すると貴族による私闘=フェーデが横行

教会財産が侵害される・パクられる

★教会は自分たちがヨーロッパの秩序勢力になる必要があると考える★

そうなるための一環として、以下を進めた。

  1. 教会主導で「神の平和」運動を推進する
  2. 内部の腐敗を刷新する(教会刷新)
  3. 十字軍勧説

である。

以上の流れに沿って詳しく書いてみた。

カロリング朝時の国家と教会の関係

かつてカロリング朝時代においては、国家と教会の緊密な連携により、教会と貧者を世俗的な保護下においていた。

平和を脅かすものに対しては「国王罰令」によって抑えたり、処罰をする。これによって、平和の保証をしていたわけだ。

ところが、、

カロリング朝・崩壊後の教会とフェーデ

カロリング朝が断絶、つまり国王不在になると、国家との連携が外れて教会だけが残った状態となる。教会が貧者に対する唯一の保護者となってしまう。

その一方で、国王不在の状態は封建領主間での私闘(フェーデ)が起こる要因ともなる。

当時、私闘は武器・武力を所有している階層の特権として禁止されていなかった。私闘は教会や民衆の経済活動を妨害・攪乱した。

それによって聖職者階級や教会の財産、労働に従事する民衆(農民や商人)や彼らの所有物が奪われてしまう。

「神の平和」運動

●背景

10世紀末から11世紀初めにかけてフランス各地で「神の平和」運動が民衆を巻き込んで起こる。

教会は自分たちが平和の守護者となる「神の平和」運動を推進した。

これは教会や民衆の経済活動に対してフェーデが妨害・攪乱すること、これを禁止することが社会から求められたからだ。

●「神の平和」運動を推進した教会の事情って何?

→経済要因

教会側の事情は明確で、修道院・司教座教会が多くの俗界貴族とは異なり、自己の「法人」としての生存のために大規模な荘園を必要としたので、教会に隷属する農民が妨害なく経済的義務を履行できることを最重要視した。

池谷、p.33

教会は自領の隷属農民のみではなく、すべての農民も保護しようとした。それは、教会への十分の一税や奉納物・寄進物が、教会・修道院の収益となっていたからである。

池谷、p.33

だから、自分たち教会の収益源である地域住民を、貴族による「不法な」略奪から保護しようと努めたわけだ。

【感想】

10世紀末から11世紀初頭に「神の平和」運動が生起したってところ、

世界史的にフランス地域の前身である西フランク王国が987年に断絶したことを考えると
ぴたっと当てはまって分かりやすい(笑)

そこからフランス王家のカペー朝が始まるわけだけど、カペー朝の初めは「王権が弱い」でお馴染みだ。

まさに「国王不在」な状態=秩序の解体状態なわけだね。

●教会が教会会議を巨大な民衆集会に転換させる

「神の平和」のための教会会議は巨大な民衆集会となった。

当時の教会会議の参加者は聖界貴族だけではない。俗人も参加者だった。俗人は封建領主だけでなく、庶民や下級階層に属する人々つまり民衆をも含む。

また、教会会議の折には聖遺物も開帳され、多数の人々を吸引していった。

そのため「平和教会会議」の営みが、教会の構内においてでなく、大群衆を収容できる都市城壁外の広大な平坦地や荒野で行われた。

教会は「平和教会会議」を意識的に、巨大な民衆の集会に転換させるためにあらゆる手段をとり、「神の平和」運動は民衆運動となった。

池谷、p.35

巨大な民衆の集会場としての教会会議を継続する中で「平和」の理念が、民衆の支持を受けて社会的に有効な力となっていく。

十世紀のクリュニー修道院改革に始まる教会改革、教皇権の上昇、叙任権闘争といった教会政治・皇帝政治における重要な動きの底流に、こうした民衆を巻き込む「平和」運動の発展をみることなくして「十字軍」を理解することはできないであろう。

池田、p.36

教会内部の腐敗を刷新する(教会刷新)

初めのざっくり流れを示した段落で「教会は自分たちがヨーロッパの秩序勢力になる必要があると考える」と書いた。

秩序勢力になるということは、分かりやすく解釈すると、教会がいなくなったカロリング朝の分も含めて秩序勢力になる、ということだ。

このような目標を立てた以上、自分たちが「正しき」秩序勢力にならないといけない。

教会内を見た時、果たして正しい秩序といえる状況だったのだろうか?

教会内も正しくはなかった。

11世紀半ば以来教皇位を占めた改革派聖職者たちの多くは、教会内で長年にわたって続いてきた聖職権の乱用を排除し、「この世の正しい秩序」を取り戻そうと願った。

池谷、p.41

特に、問題だったのが、、

平信徒による不正な教会支配という問題、とりわけ、シモニア(聖職売買)という悪しき慣習を教会から排除することであった。これこそ君主による聖職者叙任にまで排斥を拡大するにいたるものである。

池谷、p.41

これが聖職叙任権闘争になっていく経緯でもあるね。

その他、教皇の課題

  • 1054年、東西教会の分裂。いつかまた東西教会合一しなければならない
  • その前からの教会において誰が一番えらいのかという首位権も強くしないといけない
  • イエスの受難と復活の地イェルサレムを開放、危険を冒し聖地巡礼する人々を守らなければならない

十字軍勧説の意図

●十字軍は新規な考え方じゃあない

やっぱり十字軍運動という考え方も教皇グレゴリウス7世が先に考えていた。

ただ、十字軍はイェルサレムを奪還する!という印象が強いが、実際は少し違ってて、「巡礼」に伴うもの。グレゴリウスにとって十字軍は「聖なる戦い」をともなう「約束の地」への「巡礼」である。

これが前西方世界のキリスト教徒が教皇主導下で共属意識感情を大規模に表現すべきものと解されていた。

【考察】

あくまで十字軍は「巡礼」がベースであって、異教徒をやっつけろというような戦いをベースにしたものではない。

巡礼地に向かう過程において、異教徒の邪魔が入る可能性がある。だから、武装して巡礼しなければならない。武装巡礼団となって聖地へ向かうわけだ。この巡礼するときに伴う戦いを「聖戦」とする。

これは「聖なる正しき戦い」として理解しやすいと思う。

●当時の人々は巡礼が魅力的なもの

スペインのレコンキスタにおける軍事行動も「巡礼」が重要な要素。

スペインのレコンキスタに従軍したフランス人の多くは、当初、スペイン北西部にあるサンティアゴ・デ・コンポステラの聖ヤコブ大聖堂への巡礼団として出発した者たちだった。

イェルサレムは、

とりわけ、キリストの受難の地であり聖墳墓の在所でもあるイェルサレムは、万難を排して詣でるべき巡礼の目的地であった。ブルガリアの支配権をめぐってビザンツ帝国と争っていたハンガリー帝国が十世紀末にはカトリックに改宗し、神聖ローマ帝国との関係が密になったため、ドナウ・ルートが開け、ヨーロッパから聖地イェルサレムまでの陸路での旅がいっそう可能となった。そのため巡礼の魅力が倍加し、十一世紀後半には、イェルサレムはヨーロッパのキリスト教徒にとって宗教的にははるかに重要な巡礼地となった。

池谷、p.p.44ー45

●ウルバヌス2世の十字軍勧説

もろもろ上記のようなことがすべて絡んでくる。

もうここまで来たら、ウルバヌス2世が十字軍勧説をした理由は何?と聞かれたなら一言で「ビザンツ帝国から救援要請があったからだ」とは言えない(笑)

ウルバヌスの十字軍勧説の意図一覧

  • カロリング朝崩壊後の西ヨーロッパをまとめる
  • フェーデ(私闘)のエネルギーを外部に向ける
  • 皇帝権をおさえて、教皇権を強化する
  • 首位権を強化する
  • 教皇権を高め東西教会合一を目指す
  • イェルサレムを奪還する

筆者は十字軍呼びかけが部分的な成果を得たといっている。

【成果】

  • フランス貴族たちに「聖なる正しい戦い」という目標をもってキリストの事業に奉仕する理念的な基盤を与えた
  • 教皇のキリスト教世界における首位権要求を強化した
  • ヨーロッパにおける教会と教皇権の権力政治的な役割を強化した

【成果が得られなかった】

  • 東方教会との合一への努力は、東西の権力政治的な相違と利害の故に成就しなかった

終わりに感想

この本の中で特に印象に残ったところは「教会が教会会議を民衆の集会場に転換した」ところだった。

前は「集会」って言葉を聞いても何も反応できなくて、単なる人が集まってんだなぁ〜なんて思ってたんだけどσ(^_^;)

これってつまり「政治の集会」って事だよね。

教皇が集会の中心に立って、自分たちの政策上必要なイデオロギーを伝える。民衆をある方向導いていく。

これは演説する政治家じゃないか(笑)

ウルバヌス2世の十字軍勧説はまさに時流にのって大衆を扇動している政治家だよ。

それでほんとに「民衆十字軍」という想定外な事態が起こっちゃって。すんごい影響力をあったんだなと感じた。

こういう単なる説教にみせて、実際、裏面がある。ここに重層複雑な感じがして教皇の巧妙さ、恐ろしさを感じた。

こんなことしまくってたらそれは教皇権は強化されていくよねと納得しちゃったのである(笑)

こうして、十字軍は多くの人々を巻き込みスタートしていく。

以上、興味がわいた方はぜひ読んでみてみてはいかがかでしょうか(^^)

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