『世界史リブレット人㉙カール大帝』を読んだ【まとめ&感想】

世界史

こんにちは!
どうもはこざきです。

今回は世界史リブレット人『カール大帝』からピックアップしてみた。

カール大帝はフランク王国における代表的な国王で、西ローマ帝国復活の象徴にもなった人物だ。ヨーロッパの父としても、トランプの絵柄としても有名な人物だね。

カール大帝が生まれたカロリング朝は父であるピピン3世(小ピピン)の時代から始まった(751年)。

ただ、その一年前、中央アジアではもっと大きな国力をもつ王朝が生まれていたんだ。

それはイスラーム圏・アッバース朝である(750年)。アッバース朝は続く751年にタラス河畔の戦いで唐を破り、中央アジアの支配者となった。

カロリング朝の幸運はこのアッバース朝の全盛期とかぶってくるところなんだよね。

カールはヨーロッパの中心には立てたかもしれないが、経済面においてはかなりアッバース朝の恩恵をうけている。

筆者もかなり強い口調でアッバース朝の影響がヨーロッパの上り坂景気を作ったことを主張しているんだ。

そこで、今回はカール大帝やその王朝であるカロリング朝がなぜ繁栄することができたのか、経済面にスポットをあててまとめてみた。

『世界史リブレット人㉙カール大帝』

(出典:amazon)

佐藤彰一(さとうしょういち)『世界史リブレット人㉙カール大帝』(2014)山川出版社

今回の記事では主にグローバル経済面で見たフランク王国という感じでまとめたが、もちろん他にもいろいろ詳しく書いてある。

  • カール大帝の系譜
  • 外征のことや国際関係、東のビザンツ帝国とはどう渡り合ったのか?とか
  • 伯や巡察使のような統治組織のこと
  • 中の社会や経済のこととか、古典荘園のこと
  • カロリング・ルネサンス
  • 西ローマ皇帝戴冠の経緯

などなど

世界システムの中のカール大帝

グローバルな視点で見たとき、カロリング朝フランク王国を取り巻く環境はいったいどんな感じだったのか。

カール大帝が生きた8世紀後半から9世紀にかけての時代は、イスラーム的東方に経済の重心が移ったあとの時代だった。

アレクサンドロス大王以降のヘレニズム時代は地中海圏とインド洋交易圏が一つに統合されていたが、時代の経過とともに国々が分裂していき、そしてローマ・ビザンツとササン朝ペルシアの二つに分断されるようになる。

ビザンツ帝国とササン朝ペルシアが戦うせいで、メソポタミア付近の東西交通路が遮断され、商人たちも困っちゃったわけだ。

この分断されてしまった地域を再び接合したのはイスラームの覇権。これは十字軍の時代まで続く。

カール大帝が生まれ、活躍したのは、この巨大な経済センターが、その支配領域と中国を含む周辺地域の膨大な経済的果実を流通させ、コントロールした時代であった

佐藤、p.90

直径10キロのバグダードと長さ35キロのサーマラー

驚いたのは、アッバース朝の都市サーマラーの大きさだ。

バグダードが直径10キロに対して、ティグリス川沿いにあるサーマラーは長さ35キロ。
めちゃめちゃ大きい。

うすーく長いってわけでもない(笑)(P14に帝政期のローマの大きさとの比較図がある)。

カール大帝が誕生した八世紀中ごろから都市バグダード、さらにサーマラーの建設は巨大な公共事業となって、経済の動脈を刺戟し息づかせた。

佐藤、p.92

この2大巨大都市が建設される時、どれだけ労働力や物資が必要か、それはとても恐ろしいものになると感じた。

そして、世界にどう経済効果が波及していくかは、流通ルートにみることができる。

  • 東はインド、インドネシア、インドシナ、中国、中央アジア
  • 西方に向かっては、カイロ、カイルーアン、フェースなどの北アフリカの交易都市を結び、それはジブラルタル海峡をこえてスペインのコルトバへとつながった
  • 北の回路はバグダードからアレッポ、ビザンツ帝国、ヴェネツィア、フランク王国へと達した
  • 最北のルートはバグダードからカスピ海を横断するかカフカス山脈を越えて、ヴォルガ川を遡行し、ラドガ湖(サンクト・ペテルブルク)を経由し、スカンディナヴィア半島、フランク王国へと達した

こうした活発な流通の動きが、北西ヨーロッパに位置するフランク王国の経済発展を大きく促進したのは間違いない。カール大帝はこうした上り坂にあったヨーロッパの景況に助けられるという幸運に恵まれた。

佐藤、p.92

イスラーム圏への輸出品

フランク王国からイスラーム圏(アッバース朝や後ウマイヤ朝)への輸出品が2点あげられている。

奴隷

アッバース朝や後ウマイヤ朝などのイスラーム世界への輸出品の筆頭は奴隷だった。

奴隷はイスラームの後宮で働くことになる。

メロヴィング朝のタゴベルト一世の時代からボヘミア地方などのスラブ人居住地域でとらえた人々。

この人々を奴隷の集散地だったヴェルダン(マース川に面する)から、ソーヌ川、ローヌ川などの河川を利用して地中海に送り、海路イスラーム圏に運ばれたという。

刀剣

マンハイムやシュパイヤーなどは良質な砂鉄を産するみたいで、このライン川地方で作成された刀剣がさかんに輸出された。

いい剣は敵にわたってはならんということで、カール大帝が禁止令を出したんだけど、あまり効果がなかったらしい。

P66にカロリング時代につくられた両刃の剣(スパタ)の写真が出典してある。なんかローマの剣に似てた(^ ^)

当時のイスラーム歴史家イブン・フルダズビーによれば、フランク王国製の刀を商ったのはヴァイキングの一派ルーシ人であったという。

多くのフランク製刀剣が八世紀半ばに開かれたロシア経由のルートでバグダードまで運ばれたことがうかがえる。

佐藤、p.65

ヨーロッパにおける戦争にもみられるバグダードの経済力

交易という平和な感じがする方法もあれば、野蛮な方法で富を得る方法もとる(笑)

バグダードから流れ出る富を戦争記録から知ることができる例が、カール大帝によるアヴァール人征討だった。

こちらも筆者は強い口調をつかって言っている。

ハンガリー平原を自らの支配圏としたあヴァール人が蓄積し、七九一年にカール大帝の軍勢によって略奪されたただならぬ量の貴金属宝石の類も、ビザンツ帝国からの貢納に加えて、商業交易からもたらされた富が大きな部分を占めていたに違いない。

佐藤、p.93

おもしろいのは、フランク王国がアヴァール人から手に入れた金品を、また後ろから取りに来る奴らがいるところだった。

ヴァイキングだ。

ヴァイキングが八世紀末からイングランドを手始めに、ことに西フランキア(フランク王国)を恒常的に略奪してまわったのも、アッバース朝の繁栄の余得に与ったフランク王国に蓄積された富をねらってのことであった。

佐藤、p.59

ヴァイキング→フランク王国→アヴァール人っていうこの構図が、富がたくさん集まってくるアッバースの中央アジアに向かっている感じ。理にかなっていて面白かった。

コンスタンティノープルよりデカい都城

筆者もびっくり、東欧にコンスタンティノープルデカい都城が発見される。

それはブルガリア人の都城プリスカだ。

なんとプリスカは同時代の巨大都市コンスタンティノープル(人口40万人)の1.3倍あたる、面積21平方キロ!

こうした都市のを生み出した経済的富は、黒海周辺に点在する所業交易の拠点からもたらされたのは疑いないところである。

佐藤、p.94

ブルガリア人はアヴァール人に仕える服属部族だったが、アヴァール帝国が崩壊した後、自立して黒海の西岸に移った。現在のブルガリアの位置に覇権を樹立して、ビザンツ帝国とたびたび敵対した。

プリスカの遺跡は1997年以来ドイツとブルガリアの考古学者が共同で発掘調査を続けているという。

まとめ感想

引用させてもらった部分が何点かあるが、この本の結びの部分の「must!must!must!」というような筆者の強い主張であらかたまとまっている(笑)

そのmustな部分がイスラーム経済がらみに集中していて、やはりアッバースのパワーを印象づけられた。

この本を読んで、前提がくつがえった。

中世中期、多くの戦士たちが東方へと向かう、十字軍国家も運営されることが、東方との交易が栄えるきっかけだと思ってたんだけどその前提があやしくなる。

もうすでにカロリング朝とかの時代にがっつり交易やってたんじゃん!?

中世初期も交易やってたよねという視点。

このような新たな視点が自分の中に組み込まれてしまったわけだ。

さらに、カール大帝の本なんだけど、グローバルにみればイスラームの経済圏に組み込まれるフランク王国な視点も。

次は逆にアッバースからみた世界を見てみたい。

以上(笑)

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