中世都市の成立
成立の背景
10世紀頃の中世農業革命(三圃制や重量有輪犂)により、農業生産力が増加すると、食べる分以上に食料が増えた。
人口も増加し、余った食料(=余剰生産物)を取引する交易も広がっていく。
余剰生産物を交換するために各地で市が開かれるようになる。
決まった日に商人や手工業者が集まる定期市が誕生した。
ムスリム商人やノルマン人の商業活動や、十字軍による交通路の発達で東方貿易が発展。
貨幣経済が復活したんだ。
中世都市の成立
商人や荘園内の手工業者が定期市に集まって住み、中世都市が成立した。
ローマ帝国時代に発展していた商業が、中世前半に衰退して、また11~12世紀に盛り返す。
都市や商業が活性化し商業の復活となった(=商業ルネサンス)。
貿易圏拡大
都市と近郊の農村から遠隔地商業へに広がっていく(十字軍の影響)。
遠隔地商業

地中海交易圏
東方の香辛料・絹織物・綿織物と、南ドイツ産の銀やフィレンツェ産の毛織物を交換する奢侈品交易
●北イタリア
ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサなどの海港都市が東方貿易(レヴァント貿易)を行う。
●内陸都市
ミラノ・フィレンツェも毛織物業や金融業で繁栄。
北海・バルト海交易圏
毛皮・木材・毛織物・穀物・海産物など生活必需品の交易をした。
●北ドイツ
リューベック・ハンブルグ・ブレーメン。
●フランドル
ブリュージュ・ガン。15世紀になるとアントウェルペン【アントワープ】が繁栄。
●その他
ロンドン。
内陸交易圏
地中海交易圏と北海・バルト海交易圏を結び、各地に都市が繁栄。
●フランス東北部
シャンパーニュ地方では国際定期市が開かれた。
●フランス南部
リヨン(絹織物)
●ライン川流域
ケルン・マインツ
●南ドイツ
アウグスブルク(銀山・銅山)、ニュルンベルク
自治都市の形成
諸侯や司教などの支配下にあった都市は諸侯や司教から独立したいと思うようになった。
そこで都市の商人たちは自治権の獲得を目指し動き出した。
商工業者は領主との闘争で特許状を得る。そして、自治権を獲得し、自治都市になった。自治都市は2パターンある。
自由都市【帝国都市】(パターン1)
皇帝や国王等にお金を払い特許状を得る。
主にドイツにおいては、皇帝から特許状を得て、皇帝直属となり地方領主から自立し、諸侯と同格となった。
中世末期には「都市の空気は自由にする」のことわざが生まれる。農奴が都市に1年と1日住めば自由身分の意。
コムーネ【自治都市】(パターン2)
諸侯などの領主との対立抗争をしながら自治権を獲得していく(コミューン運動)。北フランスやイタリアで激化。
周辺の農村を支配し都市共和国に発展した。
都市同盟
北イタリア
十字軍をきっかけに港市による東方貿易(地中海貿易圏)が発展。
ロンバルディア同盟(盟主はミラノ)結成。神聖ローマ皇帝のイタリア政策に対抗。
●北ドイツ
ハンザ同盟(盟主はリューベック)14世紀に100以上の都市が加盟。
北ヨーロッパ商業圏を独占共通の会議・貨幣・度量衡・法律・陸海軍を持ち、1470年にはデンマーク海軍を撃破。三十年戦争後のウェストファリア条約で解散。
ギルド+α
同業組合として相互秩序と市場独占。
商人ギルド
大商人で構成。自治権獲得の中心となり、大商人の市参事会により市政を独占した。
同職ギルド(ツンフト)
手工業者の親方たちで構成。
商人ギルドに対するツンフト闘争(13世紀)により市政参加が承認、14世紀より市政に参加するようになる。
徒弟制
厳格な封建的身分制。
無給の見習い(徒弟)が修行を積んで初めて有給の職人になれた。親方になれて晴れて出店が可能となる。
親方(マイスター)>職人>徒弟。
●大富豪
フィレンツェのメディチ家(金融業)
アウクスブルクのフッガー家(南ドイツの銀山経営)
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