アテネ民主政完成までの流れ(世界史)

世界史

民主主義という考え方を世界で初めてうみだしたギリシアの民主政。アテネの民主政治までの歩みを中心に流れを確認してみよう!

アテネ民主政完成までの流れ(世界史)

  1. 王政
  2. 貴族政治
  3. 財産政治
  4. 僭主政治
  5. 民主政治の確立
  6. 民主政治の完成

王政

暗黒時代中は王政であった。ミケーネ文明の滅亡後、鉄器時代に移行。

貴族政治

ギリシア人の植民活動が活発になる(前750年~前550年ごろ、地中海・黒海沿岸)。商工業が発展し、貨幣経済がすすむ。重装歩兵の活躍が進み、貴族政治が動揺する。

なぜ貴族政治が動揺するようになったか?

植民市の建設が進み、交易が活発化するなかで、、

→一部の平民(農民)はあまった農産物を売れるようになる。富裕化する。

→海外から安い金属も入るようになり、それにともない武器も安くなる。

富裕になった平民は自分で武器を購入し、戦争に参加できるようになった。平民が多数戦争に参加して密集形態(ファランクス)を組んで戦った。これが、騎馬で戦う貴族にかわり軍隊の主力になっていく。

平民が国防の主力となっているのに、政治に参加できないのはなぜだ?となり、貴族と対立。こうして貴族政治が動揺していくことになるんだ。

ここから民主政の歩みが始まる。

(ちなみにこの点は、アテネだけでなく、各ポリスに共通するものだ)

ドラコン法

ドラコン法(前621)

ドラコンという人物が慣習法を成文化(文章化)して「貴族による法の独占」を防いだ。

財産政治

ソロンの改革により財産政治がはじまるが、結果、混乱を招くことになる。

ソロンの改革

ソロンの改革(前594)

富裕な平民は戦争に参加しているのに、参政権がないことに不満をもつ。

「体をはって都市を守っているのに、政治に参加できないのは不公平だ!俺たちも政治に参加させろ!!」

貴族と平民の対立が起こっている。

一方、発展に乗り遅れた下層平民の多くは債務奴隷になっていた。

債務奴隷とは、、、

もし借金の返済ができなければ奴隷になるという前提で借金をして、実際返せないで奴隷になった人

どんどん奴隷が増えて市民が減るのも問題だ。

そこで、ソロンが事態を調停する。

●財産政治の開始

納税額に応じて市民(貴族と富裕平民)を4階級に分けて、血統によらず財産さえもてば参政権が認められる仕組みをつくった。

●借金の帳消し債務奴隷の禁止

残りの下層市民には借金帳消しで救済。市民が奴隷になるのを防ぎ自作農民を保護した。

しかし、混乱を招く。結局、金持ちしか政治に参加できないから、下層市民から不満がでる。また、貴族からは平民が政治に参加することに不満がでる。

僭主政治

ペイシストラトスの僭主政治

ペイシストラトスの僭主政治(前6世紀なかば)

平民の支持を受けて登場したペイシストラトスは下層市民を武装させて貴族政治を倒す。貴族を追い出して独裁者となった。

貴族の持っていた土地(クレーロス)を貧民に再分配した。そして、中小農民を保護、育成する。市民の立場は向上した。

しかし、ペイシストラトスの息子ヒッピアスは暴君化する。追放される。

民主政治の確立

クレイステネスの改革

クレイステネスの改革(前508年)

彼は民主制の基礎を固めた。

陶片追放(オストラキスモス)

陶器のかけら(オストラコン)に独裁者になりそうな人の名前を書き、得票数の多いものを10年間アテネから追放する。

部族制の改編

4部族制(血縁)をやめて、住んでいる土地ごと10部族制(地縁)をつくった。貴族の血筋であるメリットが薄れ、民主制の基礎ができていく。

ペルシャ戦争

ペルシア戦争(前500~前449)

発端はアケメネス朝ペルシア支配下のイオニア植民市(都市ミレトス)がペルシアに反乱を起こして、これをアテネ(イオニア人)が支援したことから始まる。

●マラトンの戦い(前490)

→アテネ陸軍(重装歩兵)がアケメネス朝軍を撃破。

●サラミスの海戦(前480)

→テミストクレス指揮下のアテネ海軍が勝利。

●プラタイアの戦い(前479)

→アテネ・スパルタ連合軍が勝利

ギリシャの勝利が確定した!

民主政治の完成

ペルシア戦争に勝利したのち、アテネは再度のペルシア侵攻に備えてデロス同盟を結成(盟主アテネ)して、他のポリスを支配した。また、サラミス海戦における三段櫂船(さんだんかいせん)の漕ぎ手である無産市民の発言力が高まった。

これを背景に将軍のペリクレスの指導のもとアテネ民主政は完成される。

ペリクレス時代

ペリクレスの時代(前443~前429)

無産市民はペルシア戦争で活躍したことによって、発言力が高まった。貴族の中からも政治に参加させてもよいという声が出てきた。

将軍として権力を握ったぺリクレスは無産市民が政治に参加できる体制をつくった。

→18歳以上の全男子市民が参加する民会が最高議決機関となって開かれる

→公職(役人や裁判官)を全市民に開放、抽選で選ばれる(将軍職は別→民会で決定)

選挙は直接民主制で、全市民が直接民会に参加できる(ちなみに現代は間接民主制)。

ただし、女性や在留外国人、奴隷には参政権がなかった。

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