世界史・古代オリエントの流れ

世界史

支配者の流れということでヘレニズムも含めて並べてみた。

世界史・古代オリエントの流れ

●エジプトの流れ

  1. ノモス
  2. 古王国
  3. 中王国
  4. ヒクソス
  5. 新王国
  6. アッシリア
  7. 4王国時代
  8. アケメネス朝ペルシア
  9. アレクサンドロス帝国
  10. プトレマイオス朝エジプト

●メソポタミアの流れ

  1. シュメール
  2. アッカド
  3. バビロン第一王朝
  4. ヒッタイトが滅ぼし、
  5. 北にミタンニ南にカッシート
  6. ミタンニからアッシリア独立
  7. 4王国時代
  8. アケメネス朝ペルシア
  9. アレクサンドロス帝国
  10. セレウコス朝シリア
  11. パルティア
  12. ササン朝ペルシア

※メソポタミア(現在イラク)の地域が中心

エジプト

ギリシャの歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルのたまもの」といった。ナイル川の増水と定期的な氾濫(はんらん)は上流からの肥沃な土をもたらし豊かな農業ができる。

ノモス

人々はナイル川がもたらす沃土を利用して農耕をするため両岸にノモスと呼ばれる村落をつくった。

紀元前3000年ごろになると、王(ファラオ)による統一国家がつくられる。約30の王朝がつづいて、そのうちとくに繁栄した時代が古王国・中王国・新王国だ。

古王国

前27世紀半ばから古王国時代(第3~6王朝)で都はメンフィス。ピラミッドが築かれた時代だ。

ギザの3大ピラミッドはクフ王のものが最大で、カフラー、メンカウラーのものがある。

また、神権政治が完成。ファラオが太陽神ラーの子としてエジプト全国を支配した。

第6王朝末期になると、各地のノモスが自立してファラオの権力が弱まり、エジプトの統一がくずれた。

中王国

前21世紀より再びエジプトが統一されて、中王国が始まる。中心は上エジプトのテーベだ。

テーベの守護神アモンが多神教の最高神とされた。

ヒクソス

17世紀末(中王国の末期)シリア方面からアジア系遊牧民族ヒクソスが流入してくる。ヒクソスは馬と戦車を使って、下エジプトを征服した。以後、16世紀まで支配した。

新王国

前16世紀、テーベに新王国がおこりヒクソスを追放。再びエジプトが統一された。

前15世紀トトメス3世、対外進出を行い、シリアやナイル川上流のヌビアを征服して、古代エジプトの最大領域を実現。

前14世紀、アメンホテプ4世(イクナートン)が従来の多神教信仰を排除して唯一神アトン信仰を強制。テル=エル=アマルナに都をうつした。これらの影響で古い伝統にとらわれないアマルナ美術が生み出された。

アメンホテプ4世の死後、ツタンカーメンが再び多神教に戻した。都もメンフィスにうつる。

前13世紀、ラメス2世が再び対外進出へ。小アジアから勢力を伸ばしていたヒッタイトと抗争。カデシュの戦い(前1286)で引き分けた。アブシンベル神殿を建設。

アッシリア

エジプトは前7世紀、アッシリアに征服される(初のオリエント統一)。王朝自体は前1世紀のクレオパトラの自殺まで継続したことになっている。

4王国時代

アッシリア滅亡後、4王国(エジプト、リディア、新バビロニア、メディア)分立。エジプトは第26王朝で都はサイス。

アケメネス朝ペルシア

オリエントを再統一(メソポタミアの方で後述)。

アレクサンドロス帝国

プトレマイオス朝エジプト

前31年アクティウムの海戦に敗れ、前30年クレオパトラ自殺により滅亡。ローマの属州となっていく。

メソポタミア

メソポタミアは現在のイラク。メソは「間」、ポタミアは「川」だ。

前3000年頃から、都市文明が栄えた。エジプトとメソポタミアを結ぶ交通路であるシリア・パレスチナからメソポタミアにかけては「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる。農耕に適したところだ。

シュメール

メソポタミアの南では、紀元前3500年ごろから急に人口が増えてきて、神殿を中心に多くの大村落ができた。やがて文字が発明され、銅器や青銅器などが広がっていった。

前3000年ごろには、神官・戦士・職人・商人などが増え、大村落は都市へと発展していった。各都市はそれぞれ独立の道を歩み、、

前2700年ごろまでに、ウル・ウルク・ラガシュなどシュメール人(民族系統不明)の都市国家が数多くできていった。

これらの都市は王を中心とした階級社会であった。

しかし、都市間の覇権争いや異民族の侵入によりしだいに衰退することになる。

シュメール人は前24世紀、セム語系アッカド人にによって征服された。

アッカド

アッカド人は、メソポタミアやシリアの都市国家を最初に統一した。

しかしやはり他民族の侵入により衰退する。

バビロン第一王朝

シリアから侵入したセム語系のアムル人がバビロン第一王朝(古バビロニア王国)をおこした。

前18世紀ごろ、ハンムラビ王が全メソポタミアを支配、ハンムラビ法典を発布して法にもとづいた政治を行う。

ハンムラビ法典は刑法・商法・民法と幅広く、刑法「目には目を歯には歯を」復讐刑の原則は有名だ。刑罰は被害者の身分によって異なっていた。

ヒッタイト

ヒッタイト人が前17世紀なかば、アナトリア高原(小アジア)に強力な国家を建設。世界初の鉄製武器を使用。メソポタミアに遠征してバビロン第一王朝を滅ぼした。

ヒッタイトはシリアにも進出して、エジプトと戦った。

北にミタンニ、南にカッシート

バビロン第一王朝が崩壊したあと、北メソポタミアにミタンニ王国におこり、南メソポタミアにカッシート人(民族系統不明)が侵入。

ミタンニ王国(前16世紀)は西方のシリア方面へ領土を広げ、カッシート人はバビロニアを支配した。

アッシリア

アッシリアは前2000年紀初め北メソポタミアにおこる。前15世紀に一時ミタンニ王国に服属するも、そのあとに独立。前7世紀前半、鉄製の武器や戦車・騎兵隊などをもちいて、全オリエントを征服した。

統治は全国を州に分けて行政官をおいたり、駅伝制を整備した。

しかし、支配のしかたが残酷であったため民からの反抗をまねき、前612年に崩壊。

その後、オリエント世界はエジプト、リディア、新バビロニア、メディアの四王国時代となっていく。

四王国時代に入る前に、セム語系3民族のことをあたってみたい。

(セム語系3民族)

前13世紀ごろ、ギリシア・エーゲ海方面から「海の民」と呼ばれる人々がオリエントにやってきて、この地方を支配していたエジプト・ヒッタイトの勢力が後退。

地中海東岸に支配の空白状態がおこり、セム語系民族であるアラム人・フェニキア人・ヘブライ人が活動を開始した。

アラム人

アラム人は前1200年ごろから、ダマスクスを中心に都市国家の連合体をつくった。内陸都市をむすぶ中継貿易を行った。アラム語が国際商用語として広くつかわれるようになり、楔形文字にかわってオリエント世界でもちいられる多くの文字の源流となった。

フェニキア人

フェニキア人はシドン・ティルスなどの都市国家をつくり、クレタ・ミケーネ文明が衰えたあと、地中海貿易を独占した。また北アフリカに植民都市カルタゴを建設。フェニキア文字はアルファベットの起源となる。

ヘブライ人

遊牧民であったヘブライ人は、前1500年ごろパレスチナに定住して、その一部はエジプトに移住した。しかし、新王国のファラオの圧政に苦しみ、前13世紀ごろ指導者モーセとともにエジプトを脱出(「出エジプト」)

ヘブライ人は統一王国の基礎を固め、前10世紀ごろにはダヴィデ王とその子ソロモン王のもとに栄えていたが、ソロモン王の死後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。

その後、イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ(前722年)、ユダ王国も新バビロニアに征服されて、前586年、住民の多くはその都のバビロンにつれ去られた(バビロン捕囚)。

ヘブライ人は唯一神ヤハウェへの信仰をまもり、全能の神によりユダヤ人(ヘブライ人)は選民として特別の恩恵を与えられているという選民思想や、救世主(メシア)を待望する信仰が生まれた。

ユダヤ人は約50年後にバビロンから解放されて帰国すると、イェルサレムにヤハウェの神殿を再興し、ユダヤ教を確立した。

四王国時代

アッシリアが滅亡したとき、オリエントではリディア、メディア、新バビロニア、エジプトの4王国が分立していた。

リディア

リディア王国は小アジア(アナトリア)南西部に建てられたインド=ヨーロッパ語系。イオニア地方のギリシア人を勢力下におきながら、地中海への交易活動をおこなった。

世界最古の鋳造貨幣(ちゅうぞうかへい)を使用。これがギリシアにも伝わった。

メディア

メディアはイラン高原に建てられたインド=ヨーロッパ語系の王国。イラン人が建てた最初の国。カスピ海の南がイラン。

新バビロニア

新バビロニア王国【カルデア王国】はバビロンを都にメソポタミアを支配下においたセム語系カルデア人の王国。

「バビロン捕囚」をやったネブカドネザル2世の時代が全盛期。

エジプト

アッシリアの支配から脱し、第26王朝としてエジプト人による支配。

アケメネス朝ペルシア

アケメネス朝ペルシア〔前550~前330〕

6世紀半ば、イラン人(ペルシア人)のキュロス2世がアケメネス朝をおこし、メディア王国とリディア王国を征服。前539年にはバビロンを開城して、翌年ユダヤ人を捕囚から解放した。

第3代ダレイオス1世は、西はエーゲ海北岸から東はインダス川にいたる大帝国を建設し、オリエント世界を再統一。中央集権体制を確立した。全国を約20の州にわけて、各州に知事(サトラップ)をおいて統治した。さらに「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察官を巡回させて情報収集をさせる。

また全国の要地をむすぶ「王の道」と呼ばれる長距離国道をつくり、都のスサを中心に駅伝制を整備した。

服属民には寛大な政治をおこなったため、アッシリアにくらべて安定的な統治となった。

前5世紀前半ギリシアと戦って敗れ(ペルシア戦争)、前330年アレクサンドロス大王によって征服された。

アレクサンドロス帝国

前4世紀後半にギリシア世界を制覇したマケドニアの王アレクサンドロスは、前334年に東方遠征に出発。アケメネス朝ペルシアを滅ぼした(前330)。

セレウコス朝シリア

アレクサンドロスが没っすると、アジアの領土はすべてギリシア系のセレウコス朝に受け継がれた。

パルティア

前3世紀半ばに、アム川上流のギリシア人が独立してバクトリアをたてると、これに刺激されたイラン系遊牧民の族長アルサケスもカスピ海東南部にパルティア(中国名:安息)を建国した。

パルティアは前2世紀半ば、西へと領土を広げてメソポタミアを併合。ティグリス川東岸に新都クテシフォンを建設した。シルクロード交易も支配。東西交易の利益を独占して大いに栄える。

ササン朝ペルシア

パルティアを倒して建国したのが、農業に基礎をおくイラン人のササン朝である。イランの南に現れたアルダシール1世はパルティアを滅ぼし、クテシフォンに首都をおく。ゾロアスター教を国教にして、中央集権体制をめざした。

第2代皇帝のシャープール1世は、クシャーナ朝を破ってインダス川西岸までを支配。また、シリアに侵入してローマ軍を破り、皇帝ウァレリアヌスを捕虜とした。

5世紀後半、中央アジアの遊牧民エフタルの侵入をうけたが、ホスロー1世の時代にトルコ系遊牧民の突厥と結んでエフタルを滅ぼした。以降、ビザンツ皇帝ユスティニアヌスとの争いを優位にすすめた。

しかし、ホスロー1世の没後はしだいに衰え、7世紀半ばに新興のイスラーム勢力がやってきた。642年のニハーヴァンドの戦いで完敗。651年にイスラームのアラブ人によって征服されて滅んだ。

以上。

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