第4回十字軍なぜビザンツ帝国へ?

世界史

第4回十字軍に学べるところはやっぱりヴェネツィア元首エンリコダンドロにあると思う。

ダンドロはフランス諸侯たちから十字軍遠征のための船を造ってほしいと依頼される一方、イスラーム側からはうちで交易を独占させてあげるから攻めてこないでくれと言われた。

なんとこれを両方受けてしまう。

普通、こういうことをやってしまうと、両方との関係性が相当悪くなってしまうはずだけど。そうはならない。

むしろ、winwinwin(笑)

もちろんビザンツ帝国からしたらloseなんだけど。。

ビザンツ帝国に攻め込んだのは、フランス諸侯やイスラーム、ヴェネツィアの利益をそこなわないための結果だった。

第4回十字軍なぜビザンツ帝国へ?

→十字軍はヴェネツィアに操られて始まり、ビザンツ帝位の争いに便乗。交易拠点や領土、戦利品を得るために帝都コンスタンティノープルを陥落させた。

第4回十字軍の発端

遠征の発端は、当時ぶっちぎりの権力だった教皇インノケンティウス3世のGOサインだ(1198)。

前回の十字軍はオールスターメンバー、神聖ローマ皇帝やフランス王、イングランド王が参加していたが、聖地イェルサレムを奪還することはできなかった。

もっかい行って、聖地を奪還してきなさい!

それで今回の呼びかけに乗ってきたのがフランス諸侯や騎士だ。

フランスより約70人の諸侯や騎士が参加希望。これらに部下がついてくるので、参加人数は総勢で3万3500人ともなった。

遠征に向けて、さっそく会議が開かれる。

諸侯により「こいつなら問題ないだろう」という6名が選出されて、彼らによって今後の遠征計画が立てられた。

「目標はエジプトだ。海をとおって、首都カイロを攻める」

当初、第4回十字軍の目的地はエジプトであった。

なぜエジプトなのか?聖地イェルサレムがあるパレスティナ地域にはいかないのか?

その理由は当時のイスラム勢力、アイユーブ朝の本拠地がエジプトだったことにある。

エジプトは豊かであった。

ナイル河口に肥沃なデルタ地帯があり、さらに北アフリカと中東をむすぶ交易ルートの拠点であった。

もしイェルサレムを先に落としても、敵の本拠がエジプトにある限り、ずっと脅威にさらされる。エジプトから補給を受けて攻めてこられたら困るよね。

だから、先にエジプトを攻略しておいて、続けてイェルサレムを攻略すればいいという計画になった。

目標は決まった!

次は、輸送について検討したい。

3万3500人分の船を準備するには、いったいどこの都市に依頼すればよいだろうか?

ここで北イタリア都市の登場である。

ヴェネツィアだ!

(図は守護聖人は聖マルコを表す「有翼の獅子」)

彼らは都市国家として行動できる強みがあって、大艦隊ともなる船を作ってもらうにはうってつけの国だったんだ。

他にもジェノヴァやピサがあったけど、彼らは個人主義的な傾向が強く、今回の船を頼むには難しかった。

ヴェネツィアに依頼するのがベターだったんだ。

ヴェネツィア

時のヴェネツィア元首はエンリコ・ダンドロである(第41代)。彼は盲目だったが、頭脳明晰な元首であった。

この時、ダンドロはある条約について検討中だった。それはイスラム勢力、アイユーブ朝との通商条約である。

エジプトにいるスルタン(=君主)・アラディールからはこんな希望をもらっていた。

アラディール
アラディール

うちで自由に商売させてあげるから、エジプトには攻めないでね

他方、このタイミングで十字軍のフランス代表使節が訪ねてくる。

エジプトに遠征するための船を造っていただきたい

とほぼ同時期に、反対の希望をだされたわけだ。

ダンドロは、よく考えをめぐらした。

ダンドロ
ダンドロ

さて、どちらを取ろうかの~

・・・

結局、両方受けることにした(笑)

なぜ、そんな2枚舌的なことをしたんだろう?

そんなことをしたら、とても面倒なことになりそうだが、、、

その理由はジェノバやピサとのライバル関係にある。

以前に十字軍がらみの商売で先を越されたから、挽回したかったんだ。

第1回十字軍の時、すでに東方貿易を確立していたヴェネツィアは十字軍に乗り気ではなかった。

下手に協力して「遠征の失敗」や「築いた交易ルートが破壊される」のを恐れたからだ。

だから、スタート時点では参加しないで、様子を見ていた。

すると聖地イェルサレムが攻略されて、遠征が成功してしまう。ライバルたちは大きな利益を得てしまったんだ。

やばい!(笑)

ヴェネツィアはここで初めて十字軍に参加したんだ。

しかし、乗り遅れた代償だけど、その後、中近東におけるジェノヴァやピサの利権はどんどん大きくなってしまう。

「どうにかあいつらを食い止めたい!」

だから、、

今回の第4回十字軍を利用して、なんとか反対の案件をものにしたかったんだ。

ここから2つの案件について見てみたい。

アラディールとの通商条約

ヴェネツィアは、今までもエジプトと通商条約を結んできたが、今回は秘密の一項が含まれていた。

これがイスラムのスルタンであり、英雄サラディンの弟アラディールとの「不可侵」条項である。

すなわち、次のような交換条件だ。

アラディール
アラディール

うちで自由に交易させてあげるよ!そのかわりエジプト攻めや、その手伝いはしないでね!

具体的な交易地は、アレクサンドリアやダミエッタである。この港を自由に使って交易できるというわけだ。

次に、イスラム勢アイユーブ朝側から見てみたい。

アラディールは、なぜヴェネツィアと「不可侵」条約を結んだのか。

他にも、海洋都市はあるだろうに、、、

それは「ヴェネツィア海軍の強さ」にある。

この時アラディールは後継者争い治めて、あらためて息子や甥を各地に配置した時だった。

このような不安定な時期に外敵に脅かされるわけにはいかない。海上移動に長けた北イタリア都市が襲ってきては困るのだ。

ジェノバとピサ、ヴェネツィアの中でどこを抑えるか考えた時、、、

それはヴェネツィアだと考えた。

なぜなら、ジェノバやピサは個人で動くのだが、ヴェネツィアは都市国家として海軍を投入してくるからだ。アラディールは戦いの経験上、その強さを知っていた。

そこでヴェネツィアに通商の自由を保証して、代わりにエジプトを攻めない「不可侵」条項を飲ませたのである。

さて、、、

ヴェネツィアが検討するもう一つの案件を見てみよう。

フランス諸侯との造船契約と参戦

ヴェネツィアはフランス代表に船を作って欲しい!と言われたので、もろもろの準備でどれぐらいの販売価格になるか見積もってみた。

使い
使い

参加人数の3万3500名と馬4500頭を、人間1人につき2マルク、馬1頭につき4マルクとすると、、、販売価格は総額で8万5000マルクでございます

当時の8万5000マルクは純金2万キロに相当する。これはフランスやイギリス王の年収の2倍にあたる金額であった。

ダンドロ
ダンドロ

・・・うむ、それぐらいでよかろう、しかし払えるかどうかは分からんがなぁ

ダンドロはフランス側から人馬の見積もりを聞いた時点で、お金が足らなくなることを見透かしていたと思われる。

この状況を利用して国益につなげたい。フランス諸侯たちの率いる十字軍を操って、商売敵の都市ザーラを攻略しようと考えた。

実現のためには、さっさと造船契約をしてしまわねばならない。

共和国ヴェネツィアにおいて、そのような大事業を決定するには元首の判断だけでは不可能。大評議会と市民集会で承認を得なければならない。

ダンドロは大評議会の承認まで得たところで、、、

契約の仮決定をだす。

さらに、、

ダンドロ
ダンドロ

今回の十字軍に元首エンリコダントロ自ら率いて参加いたします、その代わり十字軍の征服した土地の半分を頂きたい

十字軍参戦とその取り分まで提案した。

フランス代表は快諾する。この時点では相手の意図を知るよしもなかった。

後は市民からの承認のみ、、

サンマルコ教会の市民集会で、フランス代表はイェルサレム奪還の大義を訴えた。大歓声で市民から契約の承認を得たのだ。

かくして正式にヴェネツィアの十字軍参加が決まったのである(1201)。

ザーラ攻略

ついに出発の日がきた。

ヴェネツィアには十字軍が集結したのだ。

だが、やはりフランス諸侯や騎士はヴェネツィアとの契約金が払えない状況だった。

しかも、離反するものも出てきて、集まったのは見積もりの3分の1、、

1万人ほどである。

ますます資金は足らない。

ヴェネツィア人は今回の十字軍参加を大事業として、通常の取引を休んでまで準備をしてきた。3万3500人分の輸送船や装備、食糧をきっちりとそろえて、約束を果たしたのだ。

例え1万人しか集まらなくても、全額払ってもらわねばならない。

契約金を払わない限り、出航はしないとフランス諸侯に迫る。

あわてるフランス諸侯。手持ちの資金をかき集めるもまったく足らない。資金のめどがたたずに、どうしようもなく月日がながれた。

そこで、(タイミングをみて)ダンドロが提案する。

ダンドロ
ダンドロ

ヴェネツィアが行う軍事遠征に協力いただければ、契約金は後払いでかまいませんぞぉ~

そこでかねてより商売敵であったアドリア海東岸の都市、ザーラを攻めることに決定した。

ザーラは以前ヴェネツィアが征服したものの、1180年にハンガリー王の保護下に入り、反旗をひるがえした都市である。

フランス諸侯はこの決定に困惑した。

だが、状況だけに断ることができず協力することになる。後払いともなれば、戦利品で支払いができるからだ。

そして、ザーラが攻略された(1202)。

この結果はもちろん教皇庁へ行く笑

教皇インノケンティウス3世は激怒した。

本末転倒だ。十字軍が同じキリスト教の都市を攻め落としただと・・・

このお達しはただちにザーラに滞在する諸侯に伝えられる。

使い
使い

あの〜すいません、破門になったんですけど

フランス諸侯は大急ぎで教皇に便を出し、窮状を訴えて破門を解いてもらう。

よし!挽回だ!さあここから、エジプト攻めをするぞ!

、、、と思いきや。

ヴェネツィア人の頭にエジプト攻めの文字はない。

目が点になるフランス諸侯。

ザーラで冬越えになってしまった。

ここで、また十字軍を利用したい人物が現れる。

コンスタンティノープル攻略

十字軍首脳の前に現れたのは皇子アレクシオスだった。

アレクシオスはビザンツ皇帝の座を奪われたイサキオス2世アンゲロスの子である。父は弟(叔父)に位を奪われただけでなく、両目をえぐり取られてしまった。

父を帝位に戻したい。

姉の嫁ぎ先であるドイツ王の紹介状を持参して、涙ながらに助けを求めた。

行き先をコンスタンティノープルに変えることでこのビザンチン帝国の首都を攻撃し、非道な叔父を破壊させ、正統な皇位継承者である自分が帝位につけるよう助けてほしい

塩野,2011,p.238

続いて、皇子は見返りとして大変太っ腹な提案をする。

  • 軍資金20万マルク
  • ローマカトリック教会のもとに東西教会を統合

これを約束するというのだ。

フランス諸侯や騎士は悩みに悩んだ。またしても、キリスト教の都市を攻めるのか。。。

しかし、20万マルクもあればヴェネツィアへの借金が楽勝で返せる。なによりも「東西教会の統合」には心が揺さぶられた。

代々のローマ教皇が望みながらも成就することができなかった東西教会の統合だ。もし、自分たちの働きがきっかけで成立すればどうだろう。。

きっと、教皇インノケンティウス3世は大喜びするに違いない。

大半のフランス諸侯がコンスタンティノープル攻めに同意したのだ。

他方、ヴェネツィアはこの申し出をどう思ったのか。

もちろん、願ってもないチャンスだ(笑)

実はこの四半世紀、ヴェネツィアはビザンツ帝国の排斥行為に困っていた。例えば、 1171年、コンスタンティノープルのジェノヴァ人居留区、焼き討ち事件。

このときビザンツ皇帝はヴェネツィア人を犯人と名指しし、帝国内のヴェネツィア人すべての逮捕と財産の差し押さえを命じた。

中平,2018,pp.63-64

帝都だけで1万人のヴェネツィア人が投獄されることになった。ヴェネツィアはこれに抗議して出兵したが、失敗し、責任を問われた元首は暗殺された。

中平,2018,p.64

なぜ、こんなことが起こっていたのか?

ビザンツ帝国は以前よりヴェネツィアと通商や軍事で関係が築かれていた。強い海軍により海上防衛を受け持ってもらう代わりに、多くの商業特権を与えていたのだ。

だが、それをいいことに自国領内で特権を振りかざし、自由に活動するイタリア商人に不満が高まっていた。

それで排斥行為が始まった。

ヴェネツィアは、かねてよりビザンツ帝国における政情不安をどう解決するか考えていた。だからこそ今回のコンスタンティノープル攻めは願ってもみないチャンス。利用しない手はない。

新政権に恩を売って、再び帝国内の商業的地位を固めたい。

フランス諸侯とヴェネツィアの意志が固まった。

こうして、第2回コンスタンティノープル攻めが開始されたのだ。

そして、帝都は十字軍の手に落ちた(1203)。

十字軍と取引をした若き皇子はアレクシオス4世として父と共同で帝位についたのだ。

さあ、十字軍たちにお返しをしなければ、、

、、しかし

太っ腹の見返りを提示したアレクシオスだったが、実は20万マルクも支払うお金は無かった。

そのお金をいかにして集めようとしたのか?

臣民への重税である。

当然、民の怒りを買い、アレクシオス4世は外国人の傀儡、売国奴とみなされてしまった。最終的には反乱によって親子ともども殺害されてしまう。(1204)

そして、一族の娘婿にあたる人物が皇帝の座についたのだ。

この状況を見て十字軍はどう思ったか?

認めない。

こうなってしまっては引くに引けない。故アレクシオス4世と交わされた見返りは消えてしまったのだから。

お金は回収できていない、商業拠点や領土は広がらないじゃあ、ヴェネツィアもフランス諸侯も得るものがない。

したがって、第2回のコンスタンティノープル攻めが開始された。

反撃を阻止するための破壊や略奪が繰り広げられる。新皇帝も殺害された。

ついにコンスタンティノープルが攻略されたのだ。

空位となった皇帝の椅子には、フランドル伯ボードゥアンが選出され、ラテン帝国が成立していく(1204)。

一方、逃亡して生き残ったビザンツ貴族は、亡命政権ニカイア帝国などを樹立したのであった。

結果はっぴょーーー!

 

図1.ローマ帝国領の分割 出典:中平(2018)p.68

分割割合は次の通り

  • ラテン皇帝→8分の2
  • フランス諸侯や騎士→8分の3
  • ヴェネツィア→8分の3

まず皇帝の取り分を決めて、残りをフランス勢とヴェネツィアで折半。

フランスはテサロニケ王国やモレア侯国、アテネ公国などの君侯国を立てる。

ヴェネツィアは東地中海貿易にとって重要な港や島を中心に領土を増やした。

[box04 title=”ヴェネツィア詳細”]

  • 聖ソフィア大聖堂周辺から金角湾に至る利便性の高い地域
  • アドリア海沿岸のイオニア諸島
  • ギリシャ西部沿岸
  • ペロポネソス半島沿岸
  • エーゲ海のキクラデス諸島
  • マルマラ海北岸のガリポリ、ライデストス

上記のなかで特に重要な拠点は、、

  • ギリシャ西部でアドリア海の出口をおさえるドゥラキオン(現デゥラス)
  • ペロポネソス半島の南岸にあるモドンとコロンの港「ギリシャの二つの目」
  • 東地中海の戦略上の要衝クレタ島

これらの領地が、ヴェネツィアの東方貿易支える拠点になった。

中平,2018,p.69

商品を運ぶ航海の途中でヴェネツィア商戦が立ち寄る補給基地となり、悪天候や海賊などから身を守る避難場所にもなった。ライバルと争う際の基地でもある。

中平,2018,p.69

この第4回十字軍で得た拠点が、ヴェネツィア共和国が東地中海の海上覇権を打ち立てる基礎になったのである。

中平,2018,p.69

[/box04]

あとがき

ここまで読んでいただきどうもありがとう。

執筆理由を少々

今回調べてみるまで、第4回十字軍は主旨がぜんぜん違うのですごい気になっていた。「ヴェネツィアが操った最悪の回だ」という悪印象が強かったんだ(笑)

だから真実を確かめる!という熱い思いもこめて執筆してみたわけだ(笑)

しかし、調べてみてほんとに最悪なの?となる。

塩野七生さんによれば、実は「最悪」ってイメージがついたのは結構最近みたいなんだよね。

第4回十字軍に対する酷評は20世紀に入ってから起きたらしい。それ以前の700年もの間、十字軍の中でこの第4回だけが、特に悪く評されていたわけではなかった、とのこと。

さらに、この第4回の直後からの十字軍関係の年代記も記録も、悪評を浴びせてないらしいんだ。

今回掘り下げてみて、ずいぶん第4回十字軍の印象が変わったよ〜

以上、簡単ながらどうもありがとうございました(笑)

参考文献

若干、歴史創作的に作っているので作塩野七生さんの歴史小説『十字軍物語3』新潮社,2011年,を参考にしてみた。

  • 中平希『ヴェネツィアの歴史』創元社,2018年
  • 伊藤敏樹『十字軍「聖戦」秘譚』原書房,2015年
  • ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥワン『コンスタンチノープル征服記』 伊藤敏樹訳,講談社,2003年

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